Lady Green English Salon

英語講師LadyGreenのブログ。現在、翻訳スクール通学中。英語のことを中心に、色々と書き綴っています。

IKEBANA: Flower Arrangement 2 

前回の『生け花』の記事の続きです。




白洲正子氏は、牡丹の花について詠まれた短歌を紹介し、この世とあの世の間に浮かぶ牡丹の花に
「永遠の生命を託した静かな喜びが感じられる」と述べた後、さらにこのように続けます。

「もともと花とはそのようなものである。これは切り花ではなく、鉢植えだったかも知れないが、
どちらにしても1日かぎりのはかない命であるから、咲き定まって器に入れたその瞬間が「花」なのだ。
では、自然のままで眺めたらいいだろうにと思うのは美を解さぬものの言で、
自然の花が美しいのは当たり前のことだが、人間が関わることによってそれは1つの「思想」となる。」
(「日本を知る105章」より、第2章『生け花』白洲正子)

牡丹の花の話から、今度は花を生けるということの意味へと話が移っていきます。
日本語の文を読んで、「自分ならこう訳すかな?」という考えが浮かびますか?
「花とはそういうもの」ってどう言えばいいだろう。
「切り花」「鉢植え」という単語、かぎかっこ付きの「思想」はどうなるでしょう?

では、実際にどう英訳されているか見てみましょう。

This is the fundamental nature of a flower.
Rigen may have been describing a potted flower rather than a cut flower, but in any case,
the life of a flower is short.
The moment of blossoming is the essence of the flower.
If a person thinks it would be just as well to appreciate a flower in its natural state than to arrange it,
they do not understand the nature of beauty.
A natural flower is beautiful, but when it is touched by a human being,
it becomes a thought.


英訳に正解は1つではないですから、違う訳し方もあると思いますが、
1つの手本として見ていこうと思います。
「花とはそういうもの」というのを"the fundamental nature of a flower"と表現しています。
"nature"には「本質」という意味がありますから、そこに"fundamental"「根源的な」という単語をつけて
「もともとそういうもの」という日本語のメッセージが伝わりますね。
ちなみにこの"fundamenta"lという単語の使い方、翻訳の授業で度々話題になったのですが
"basic"と言うとちょっとニュアンスが変わってきてしまいますので要注意。
"basic"には「初歩的な」というニュアンスがあるので、"fundamental"と似てはいるけど交換不可なのです。
こういう使い分けが日本人には難しいのだなぁ~。

さて、話を戻して、ここで出てきた"nature"という単語。
この後もう一度出てきますね。
「美を解さぬ」という話で、"do not understand the nature of beauty"と出てきます。
日本語では「美の本質」とは言っていないけれど、やはり"nature"を入れた方が伝わりやすい。
最初の"the nature of a flower"とも対比されるので、全体がさらに引き締まって
さらにメッセージも伝わりやすい気がします。

「切り花」「鉢植え(の花)」はそれぞれ"a cut flower""a potted flower"。
"cut"も"potted"もどちらも過去分詞で形容詞の役割をしています。
これらの表現はどちらも日常会話で使えそうですね。
「1日限りのはかない命」はただ1単語"short"で済まされてしまっているのはちょっと寂しい気もします。
ちょっと気になるのがその次の部分。
「咲き定まって器に入れたその瞬間が『花』なのだ」
The moment of blossoming is the essence of the flower.
さて、こう訳すと、「器に入れたその瞬間」ではなく、「咲き定まったその瞬間」となってしまわないかしら?
英文だけを読んでいたらするっと通り抜けてしまいそうなんですが、
白洲氏が伝えたいのは、花を花器に入れたその瞬間が「花」なのだ、ということ。
自然のまま愛でるのではなく、人の手が加わり生けられたその瞬間に生まれるものがある。
そこに「生け花」の奥深さがあり、はかない命がひとつの「思想」"thought"となる。

そんな風に考えながら、再び「咲き定まる」という日本語について考え、
また冒頭の短歌の意味も考えてみる。
はて、あの句はどんな情景を詠ったのだろうか?
前回の記事で「咲き定まる」は"blossom"という訳で十分と言ったけれど、本当にそうかしら?

この短歌についてネットでちょっと調べてみたら、こちらのHPに辿り着きました。
これを読むと、この歌の情景が目に浮かぶように感じます。
牡丹の花はただ「咲く」のではなくて、「どっしりと腰を下ろすように咲き定まっている」のだと思います。
ただ、それを表す英単語がないのです。なので、これを"blossom"とする。
そして、白洲氏はこの牡丹の花の情景を、花器に生けられた一凛の牡丹として捉え
「花を生ける」ということの意味を伝えようとしている。

さくっと読むと本当にさくっと右から左に抜けるように読んでしまうんですが
どう英訳できるかと考えて読んでみると、いかに「原文の日本語をちゃんと理解しているか」ということが問われますね。
この記事を書きながら、私もかなり勉強になっています。
ここにさらに「私ならこう訳す」ということを書ければ良いのですが
そこまでには至らずに「検証だけして逃げる」で終わっちゃうんですが、ごめんなさいね。

さて、もう少しこの続きについて見ていきたいのですが、
次への予告として、日本語の文章だけのせておきますね。
牡丹の花の話から、今度は有名な利休の逸話へと移っていきます。

「有名な利休の逸話に、秀吉に所望されて、庭一面に咲いたみごとな朝顔で茶会を催すことになった時、
利休はその朝顔を全部切ってしまい、たった一輪だけほの暗い茶室の床の間に生けたという。
これが茶道の神髄であり、花を生かすことの意味である。」

さて、これをどう英訳しましょうか?
実際の英訳を次回の記事で見ていこうと思いますが
読んでいて「あれ?」と思ったところがあるので、皆さんの意見も聞かせて頂ければと思います。

では、今日はこの辺で!



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